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思い出に残る食事

1 :私事ですが名無しです:04/05/13 21:24 ID:kx0bg/Vb
いや、うまい・まずいはどうでもいいんだ。なんか状況とともに思い
出すってやつ。
おれは5年前に好きだった女の子と食ったスパゲッティだ。柄にも無く、
神戸のイタメシ屋でボンゴレなんぞを食していたのよ。相変わらず面白く
もない冗談連発してた。そしたら彼女が突然泣き出したんだ。くわしい
事情は省くが、おれにはどうすることもできない話だった。おれは
ただズルズルとスパゲッティ食ってたよ。
今日、あさりのスパゲッティを食って、突然そのときのことを思い出した。
あのときの彼女の表情や声がくっきりと蘇ってきたんだ。
それでなんか食い物ってすごいなと思ったわけだ。みんなにはこんな
経験ないだろうか? あったらぜひ教えてほしい。

2 :私事ですが名無しです:04/05/13 21:24 ID:???
ねーよバカ

3 :私事ですが名無しです:04/05/13 21:25 ID:ISN8uubE
3

4 :私事ですが名無しです:04/05/13 21:30 ID:???
高校の寮は死ぬほどメシがまずかった
死ぬほど。マジであんなにまずいメシは成長期の
食べ盛りには酷だった。
それで少ない小遣いからやりくりして学食のカレーを時々食ってた
そのうまかったこと。

昨日自分でカレーを作ったら、ちょっと焦げさせてしまった。
そしたら学食のカレーとおんなじ匂いがして
途端にもう十年近く前のことをいろいろ思い出したよ。
なんか若いと思ってたけど、もう自分も
高校生だったのは遠い昔だったんだなーとちょっとセンチになったよ。

>>1
せつないね…

5 :カシスオレンジ ◆KNHMoySoMg :04/05/13 21:30 ID:???
>>1
数年前だが、入院してるじいちゃんの付き添いをしてました。
自分では食事できないくらい老衰してたのでいつも食事を手伝ってた。
しゃべることすらままならないじいちゃんだけど

ある日、いつものようにお粥を食べるのを手伝ってたら
「○○○(名前)、ありがとう」

こう言ったんでつよ。もう耳をすまさないと聴こえないくらいの小さい声だったけど聞き取れました
いや、もう泣きますたその時は。

その日から2週間後に亡くなったんだけど、「お粥」と「ありがとう」が今でも思い出に残ってます

6 :私事ですが名無しです:04/05/13 21:31 ID:???
>>1
はどんでもないオデブちゃんとみた

7 :私事ですが名無しです:04/05/13 21:38 ID:???
>>5にとてつもなく感動した

8 :私事ですが名無しです:04/05/13 21:39 ID:???
>>5
俺もすこし涙滲んだ。

9 :私事ですが名無しです:04/05/13 21:39 ID:QZo2a/GH
>>5
ずっとその思い出を大切にしていてください

10 :カシスオレンジ ◆KNHMoySoMg :04/05/13 21:40 ID:???
>>7-8
ありがとうw
今となってはいい思い出でつヽ(´ー`)ノ 

11 :カシスオレンジ ◆KNHMoySoMg :04/05/13 21:41 ID:???
>>9
はい ノシ

12 :私事ですが名無しです:04/05/13 21:46 ID:???
病院と言えば思い出した

それは叔母がホスピスに移る少し前のこと。
叔母は乳癌が再発して肺に転移し、余命数ヶ月と言われていました。
遠くの大学に通っていた私は、帰省したときに叔母を見舞いに行きました。
叔母はこの時すでに告知を受け、病院を離れ、実家に戻っていました。

私が訪ねたとき、叔母はときどき咳をしつつ、お好み焼きを作っていました。
思い残すことがないように、食べたいものを食べておくのだと。
「○○君もどう?」 私の分も作ってくれました。
そのお好み焼きは本当に美味しかった。でも、
(あと数ヶ月でこの人はこの世から居なくなってしまうのだ。四十代の若さで)
そう思うと、悔しくて、悲しくて、胸が詰まってしまい、
私はほんの数口しか食べられませんでした。どうしても食べられなかった。
ごめん、さっき家で昼ご飯食べたからと言い訳すると
そう、と叔母は寂しそうに笑いました。

結局、これが今生の別れになってしまいました。
叔母を偲び、時折お好み焼きに挑戦することがありますが
どうしても、あの味には到達できません。
あのとき、自分も作るのを手伝ったのですが…
無理をしても全部食べておくのだったと、今でも悔やまれてなりません。

13 :私事ですが名無しです:04/05/13 21:52 ID:QZo2a/GH
ちゃんと実家帰って家族で飯食おう。。

14 :カシスオレンジ ◆KNHMoySoMg :04/05/13 21:54 ID:???
>>12
 。゚(゚´Д`゚)゜。
>>13
自分もそう思ったでつ

15 :私事ですが名無しです:04/05/13 22:08 ID:63iS4TUb
嫁とケンカして、ここ一週間一緒に食事していない。
毎日、おにぎり買ってきたり、パン買ってきたりして食いつないでる。
今日、四歳の子供がメシの前に俺の部屋にやって来て、おにぎりを見て言った。
ごはんあるよ、一緒に食べようよ、パパがいないと寂しいよ。
一瞬グラッと来たが、パパはPCで仕事があるから後でね、と言って居間に帰した。
嫁との間で越えてしまった一線はもう元に戻せない。
多分、俺は離婚するだろう。
この子とも、会えなくなる日がくるのだろう。
子供を追っておきながら、涙が止まらなかった。

おにぎりは、酢が入っているのか、ちょっとだけ酸っぱかった。

16 :@ABダー:04/05/13 22:12 ID:???

>12
いつもそうだよね
いなくなってしまった人を思い出す度に
もっと何かしてあげられなかったのかと思うんだ
僕の場合そういう事が続いた時期があって
今でもコンプレックスになってるよ

17 :私事ですが名無しです:04/05/13 22:24 ID:???
良スレですね

18 :私事ですが名無しです:04/05/13 22:30 ID:QZo2a/GH
俺、実家帰ってもすぐ遊び行って家にいないんだ。
たまに家族で飯食うと親父が怒鳴る。俺はむかついたまま自分のアパートに
帰るんだが、アパートで一人コンビニ弁当食べると親父の事思い出す。
本当は俺が帰ってきて嬉しい事を言いたくて、怒鳴ってしまったんだと思た。

いっつも怒鳴ってばっかのくそ親父だからな。。
なんかここ見たら実家帰りたくなった。  

19 :私事ですが名無しです:04/05/13 22:32 ID:???
元彼女がよく作ってくれたアボガドサラダの味が
ずっと舌に残っている。
別にたいして手がこんでる料理じゃないのにね。

おままごとの様な恋愛。
手料理作ってくれた時は、よくそのサラダが
でてきたっけか。

明日、1年半振りに会いに行きます。
空港に向かえにきてくれるその元彼女さんは、またサラダ作ってくれるそうです。

20 :私事ですが名無しです:04/05/13 22:47 ID:XfRpNmHw
母の実家で食べたカツ丼、おいしかった。

もうその店は店主が亡くなり今はもう無い

母の実家へも、母の義母と折り合いが悪くてしばらく訪れていない…

親戚同士みんな仲良かった頃のカツ丼の味、忘れられない。

21 :川o'-') ◆Z6X.rcMSSE :04/05/13 22:50 ID:Aw0j4U7x
食事ってほどでもないけど

死んだおばぁちゃんが焼いてくれた手作りバターロールパン
遊びに行った帰りにいつも持たせてくれた。
暖かな袋を抱いて帰った


22 :私事ですが名無しです:04/05/13 22:51 ID:???
俺は「パイナップルの缶」と「横に寝かせて冷やすビール」で泣いた。

23 :私事ですが名無しです:04/05/13 22:58 ID:???
>>15
子供が心配なら別れるな。
嫁を殺したいほど憎いのでないならば、修復は可能だ。
また子供と一緒に美味い飯を食おう。

24 :私事ですが名無しです:04/05/13 23:03 ID:W8PiarQF
<<1
<<4

大分前、泣ける2chで読んだ気が・・・

25 :私事ですが名無しです:04/05/13 23:15 ID:???
252 名前: さばおどり 投稿日: 2000/03/27(月) 06:54

私が8歳で、弟が5歳の頃の話です。
当時、母が病気で入院してしまい、父は単身赴任中であることから、
私達は祖母(父方)の家に預けられておりました。
母や私達を嫌っていた祖母は、朝から夜遅くまで舞踊のお稽古に行き、
私達の世話は一切しませんでした。そこで、私達はいつも近所に住む
Aさんという人のいいかたの家でご飯をいただいておりました。
ある日、母が一日だけの許可をもらって退院してきました。
本当は体がとてもきつかっただろうに、母は甘えつく私達を何回も
抱っこしてくれました。
夜は、三人で歌いながらハンバーグをこねて作りました。
「今日はお母さんが帰ってきたから、ご飯はお家で食べます!」
Aさんの家に挨拶に行った時の弟の、何か誇らしげな表情を見て
嬉しくなった私は、その紅潮した頬っぺたに何度も自分の頬っぺたを
擦りつけて家に帰りました。

26 :私事ですが名無しです:04/05/13 23:15 ID:???
253 名前: さばおどり 投稿日: 2000/03/27(月) 06:55
家に着くと、既に料理が食卓に並べられていた。母は暖かい牛乳を差し出して、
「おばあちゃんが帰ってきたから、ちょっと待っていてね。みんなで食べようね。」
と言った。私達がAさんの家に行っている間に帰ってきたようだ。しばらくすると、
着物から着替えてきた祖母が台所に入ってきた。
「お義母さん、お食事の用意できていますので、どうぞお掛けになってください。」
その母の言葉を遮るように祖母は、
「病人の作ったものが食べられますか!何が感染するかわからないのに…」
と言って、母の作った料理を全て残飯の入ったごみ袋の中に捨てていきました。
「も、申し訳ありません…」
さっきまでニコニコしていた母の顔から一気に血の気が引いていきました。
私は(どうしよう!どうしよう!)とただただ混乱していました。
「バカヤロウ!」
突然、弟が叫んで、祖母からごみ袋をひったくりました。
仁王立ちになった弟は、祖母をにらみつけながら、ごみ袋から
母の作ったご飯を手ですくって食べ始めました。
「俺はなぁ… 俺はなぁ…」
後の言葉が出てこずに、目から涙をボロボロとこぼしながら、弟は食べました。
小さな肩を震わせて、必死に強がって…
そんな弟を見て、私も大泣きしながらごみ袋からハンバーグを掴み取って食べました。
「もう、いいのよ。やめて。二人とも。いいのよ。お願いだから…」
泣きながら止める母の声も無視して、私達はむさぼり続けました。
これが私達姉弟の、母の最後の味。悲しさと悔しさの恨みの味…


27 :(4w4)っ● ◆4w4.pcSySw :04/05/14 00:20 ID:???
食事っていう程じゃないんだけど、小さな頃に肩ぐるましてもらって
いちじくの実をちぎって食べた。とってもおいしかった。

28 : :04/05/14 01:05 ID:???
今は飯にそんなに執着ないからどんなうまくて高級なもの食っても何も思わないけど
小学生の育ち盛りのときの毎日の給食の味はわすれられん
プリンやヨーグルト争奪戦はすごかった牛乳一気飲み競争などもして鼻から牛乳吹いたこともあった
カレーやから揚げやエビフライなど人気あるものは残りを争っておかわりをした
漏れの一番のお気に入りはソースが入ってないのになぜかおいしい焼きそばだった
逆に嫌いなものが出た日は給食の時間が終わっても先生に食べ終わるまで座らされ掃除の時間ほこりまみれ
になりながら泣きながら食ったの思い出す
昔と違いメニューは豪華になったかもしれんけどもう一回食べてみたいものだ

29 :私事ですが名無しです:04/05/14 02:42 ID:KpXrVFrk
今は無き阪急百貨店大食堂のお子様ランチ
家族が崩壊し、家族向けサービス業も崩壊した

昭和は遠くなりにけり



30 :私事ですが名無しです:04/05/14 04:08 ID:???
九州の某野球の強い工業高校に在学中の時の話。
同じクラスの香具師は、皆肉体系で話も合わず、
滑り止めで受けたところだったので、授業も一切興味なし。
唯一の楽しみは激安の学食だった。
その中でも好んで食っていたのが皿うどんのパリパリな麺と
ごはんの上にあんかけがのっている通称パリパリライスだった。
ある日、いつものようにこしょうをぶちまけ、
ソースを浴びるようにかけ、ぐちゃぐちゃにかき混ぜて食っていた。
今日のはちょっと苦いなとカミカミしているうちにその苦さが
尋常でないレベルになってきた。さらに、
かんでもかんでも噛み切れないビニールらしき感触の物が。
耐えきれず吐き出した。
ゴキブリだった。
ビニールらしきものは下半身の羽の部分だった。
気持ち悪さよりなにより怒りが込み上げた。
ショックやらなんやらで、意識も朦朧とよそってるおばさんに
怒鳴り散らした。返ってきた答えは、
あらーごめんね。じゃ大盛りサービスしとくね。と。
さっきと同じ鍋から、山盛りよそってくれた。

正直、食品とは思えなかった。
その後、舌に黒い色素が沈着して1週間とれなかった。

長文スマソ。

31 :私事ですが名無しです:04/05/14 05:47 ID:???
厨房時代の冬、家出をした。最初の頃はツレの家を泊まり歩いていたが、
やがて行く所もなくなり、野宿もキツくなり、空腹も限界だった。
そこで、「婆ちゃんの店」を思い出した。
通学していた小学校の前にあった、文房具屋も兼ねる駄菓子屋だが、食料品も置いていた、
俺が幾多の万引きを繰り返してきた店だった。
・・・店に行くとあの頃と同じく無人だったので、容赦なく魚肉ソーセージを万引きした。
やがて、婆ちゃんが出てきたので「ジャンプない?」と聞くと(ないのは分かっていた)、
「ないよ・・・明日だよ」と笑顔で言った。俺は無言で店を出た。
夕暮れの誰も来ない小学校の体育館の裏で、俺は魚肉ソーセージを貪り喰った。
食べながら、情けないやら寂しいやら寒いやらで、涙が止まらなくなった。
そして、俺の家出は終わった。

やがて春が来て、「婆ちゃんの店」の前を通ると「忌中」の紙が貼り出されていた。
俺はそのとき初めて婆ちゃんの名前を知った。

あんな惨めな食事はしたくないと思いながら今まで生きてきた。
もちろん、万引きをやめたのは言うまでもない。


32 :私事ですが名無しです:04/05/14 07:00 ID:TDbDJNHu
なんだろう、食べるって事をなんも考えずにいままで生きてきたけど
なんか大事なことを見失ってったのかもしれんな、、
父の日にはなんかやろうと思った。母の日もまだ遅くないかな?

自分と家族のつながりを感じさせる思い出は、一緒に食事したことが
一番頭に浮かぶな、、

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